ふぎと屋【溺書ブログ】

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【ドノ事ソノ事を探す旅】塩野七生『チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷』(新潮文庫) #20

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どーも、ふぎとです。
今日は塩野七生チェーザレ・ボルジア あるいは優雅な
る冷酷』(新潮文庫)を紹介するよ。

 

 


作品紹介


 「尾張の大うつけ」織田信長は、16世紀の戦乱の世を
駆け抜け、各地を併呑していった。『天下布武』である。
他方、同時代のイタリアでも、ひとりの奸雄が世を騒が
せていた。チェーザレ・ボルジア。この男の動向を、イ
タリア中が固唾をのんで見定めようとしていた。
 アルバノ司教で枢機卿ロドリゴ・ボルジアの庶子
して、チェーザレは1475年に生まれた。枢機卿とは、カ
トリックの教皇によって選ばれる、教会のナンバーツー
である。それが何人もいる。教皇の座が空席になった時、
そこに座る者を決めるのはこの枢機卿たちが集まる秘密
会議においてである。チェーザレの父も、彼が17歳にな
ろうかという頃に教皇になった。それがきっかけで、チェ
ーザレはまだ20にもならない内に枢機卿に任用される。カ
トリックの慣習においても、異例のことだったようだ。し
かし、チェーザレの野望はそんなところではおさまらなか
った。父教皇も、彼の器を見誤っていた。
 1498年7月17日。チェーザレは、教皇の召集で集まった
枢機卿たちに、きっぱりと告げた。


「私の心は、この緋の衣を身につけていながらも、常に現
世だけを見つめて来ました。ただ法皇猊下の御希望だけが、
その私を、今まで聖職に引きとめていたのです。」


前代未聞の還俗宣言である。人々が驚く間もなく、彼はす
ぐに動き始めた。時のフランス王ルイ12世を訪問し、彼の
離婚を認める法皇証書と引き換えに、養子縁組によってフ
ランス王の親族、ヴァランス地方の公爵となる。まさに電
光石火だ。そのまま彼は巧みな軍事手腕で、中部イタリア
をほぼ併呑し、自身の公国を築き上げる。
 才能が才能を呼ぶのか、そんなチェーザレのもとにはこ
のころから、同時代の異才たちが去来する。

 

 
「公国内のあらゆる城塞、要塞、施設、土木工事すべては、
それを施行する前に、またそれを続行しながらも、技術者
たちは、レオナルド・ダ・ヴィンチ総監督と協議し、彼の
指示に従うことを命ずる」


チェーザレとレオナルドが協働しているこの時期に、フィ
レンツェのある外交官もまた、チェーザレのそばにいた。
彼は後年、この時の経験をもとに『君主論』を書くことに
なる。ニッコロ・マキアベッリである。彼は1502年、チェ
ーザレの部下たちが起こした「マジョーネの乱」について
も、詳しい観察を遺している。


 本書を読んであらためて、ぼくは「誰がイタリアをつく
ったか」ということに興味が湧いた。イタリア語というと
ころでいえば、ダンテだろう。


急いで言っておきたいのは、ダンテによってイタリア語が
確立していったということだ。これはフランス語が『ロラ
ンの歌』で、英語が『アーサー王物語』で、日本語が『平
家物語』で出来(しゅったい)したことに比況できる。
(松岡正剛「千夜千冊」より)


では、国土としてのイタリアはどうか。これは本書にも書
いてあるが、チェーザレだったのではないか。


「イタリアの不和の源を滅ぼしたのだ。」
マキアヴェッリは、思わずきいていた。
「イタリア?」
チェーザレは、その鋭く光る眼で、マキアヴェッリをじっ
と見つめて言った。
「そうだ、イタリアだ。」


この、チェーザレが『統一イタリア』の野望に燃えていた
のとほぼ同時期に、織田信長が『統一日本』の実現のため
駆け回っていたことにぼくは奇妙な符合を感じる。デヴィ
ット・ピートはこういうことを「シンクロニシティ」と呼
んだけれど、この感覚を得ることが歴史をヨコに見ること
のひとつの醍醐味ではないかとおもう。
 さて、ここ最近は常ならぬ休日が続いているけれど、ぼ
くはこういう時こそシンクロニシティを探しにいくのも良
いんじゃないか、とおもう。例えば中世のペストとの対比
なんかはよく見かけるが、ぼくはもっと卑近な、絵本やマ
ンガにも、案外アナロジーが胎動しているんじゃないかと
おもうのだ。コノ人アノ人と会えない代わりに、ドノ事ソ
ノ事を読書に見つけるというのも悪くないだろう。そうす
れば、流行りの歌にもあるけれど、「強くなれる理由を知
った」りできるかもしれないのだから。


この本をオススメしたい人


・歴史が好きな人
・「最近退屈だな」と感じている人
・『君主論』を読んだことがある人

 


ではでは今日はこの辺で。ふぎとでした。