ふぎと屋【溺書ブログ】

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【現実 VS 幻想】フィリップ・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』 #45

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この記事から学べること

死の灰が降り注ぐ

第3次世界大戦後、地球。惑星全体が生命を遺伝子レベルで汚染する死の灰に覆われ、その灰に侵されなかった「適合者(レギュラー)」たちのほとんどは近隣の星へと移住していた。こうした状況の下では「生きた動物」が何よりの希少品、地位の象徴であり、会話の種である。また異星開拓の必要に迫られた人類は、どんな環境でも作業できる有機的ロボット(アンドロイド)たちを製造し、自分たちの下で働かせるようになった。

サンフランシスコ警察署に勤める「バウンティハンター」、リック・デッカードは、同僚が火星から逃亡したアンドロイド8人を追って返り討ちにされたという情報を受け取る。どうやら「彼ら」は、ネクサス6型脳ユニットと呼ばれる新型高知能ユニットを「搭載」しているらしい。人工の電気羊しか持っていないリックは本物の動物を得るために、彼らにかけられた懸賞金を得ようと決死の狩りを始める…。

リドリー・スコットの映画『ブレードランナー』の原作だ。ぼくにとってずっと気になっている本だった。何かと理由をつけて買わずにいたが、やっと先日、自宅近くのブックオフで購入した。帰ってすぐ、かじりつくように読み切った。

本書において、ディックは人間とアンドロイド=「限りなく人間的な機械」との違いは何なのかと問うた。そしてそれは「エンパシー能力の有無」だと考えた。つまり自分以外の人や可愛がっている動物といった「他者」に感情移入できるかどうか、ということだ。訳者あとがきには、ディックの描くアンドロイドは《機械的な行動パターンに侵された人間》の隠喩だとするアンガス・テイラーの解釈が紹介されている。

ディックにとって、アンドロイドとは、内面的に疎外された人間―つまり、分裂病その他なんに限らず"現実"の世界(人間的な関わりあいと感じ方の世界)に接触できなくて、内に閉じこもり、機械的な生活を送っている人間―の象徴なのだ。

メロメロにするディック

フィリップ・K・ディックは「長い20世紀」を生きた作家だ。1952年からSFを書き始め、その初期は短編の名手として知られた。だがそれ以降は、社会的に共有された価値観と個人的な幻想世界観との葛藤や相克を描くようになる。名だたる作家、思想家がディックにメロメロになった。

ブライアン・オールディスは早々と「ディックとバラードだけが読むに足る作品を書いている」と言っていた。アーシュラ・K・ル・グィンは「わが国のボルヘス」という最大級の賛辞をつかった。ティモシー・リアリーは二十世紀をとびこえて「二一世紀の大作家」と名付け、さらには「量子時代の創作哲学者」と褒めちぎった。  ボードリヤールは「現代の最も偉大な実験作家である」と書いたし、アメリカのSFが大嫌いなスタニスワフ・レムですらディックだけは褒めたあと、「アメリカのペテン師に囲まれた幻視者」と評した。(松岡正剛「千夜千冊」より)

なぜディックは知識人たちをとりこにできたのか。ぼくには「"いまの社会"が抱えている矛盾を、哲学的な思索をもとにしながらも難しい言葉を使わずに表現したから」だと思われる。ファンの間ではこれを「ディック感覚」というらしい。

こうして各界に根強いファンを獲得したディックは、その晩期ではユダヤ教クムラン教団の思想やグノーシス主義などを取り入れて『ヴァリス』3部作を書く。そしてそれを遺言にして、53歳でこの世を去った。ここでクムラン教団とはユダヤ教の一派で、律法(学校の「校則」のようなものだ)を学び、その戒律を守って清浄な団体生活を送った者たちをいう。1947年の『死海文書(写本)』の発見、および1951~56年のキルベト・クムラン遺跡、アイン・フェシカ遺跡の発掘によってその存在が確認された。

死海文書が中心的に意味しているところは、とりあえずはっきりしている。 それは、クムラン宗団にはメシア待望思想が芽生えていて、そこにはイエス・キリストの禁欲的な前身ともいうべき「義の教師」が活動をしていたということだ。いや、それだけではなく、その「義の教師」は紀元前50年ころに処刑されていた。(松岡正剛「千夜千冊」より)

このあたりはぼくも興味があるところだが、いまこれ以上とりあげるのはやめておく。結局のところ、みんなをメロメロにしたディックは、その死から40年近く経ったいまでも新たな読者をメロメロにしているのだ。リック・デッカードが生きた動物に惹きつけられるように―。

参考