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【母を恋うる】泉鏡花『高野聖』(角川文庫) #40

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この記事から学べること

紅葉の愛弟子

 先週は尾崎紅葉を紹介した。今回取り上げる泉鏡花は、その紅葉の愛弟子だ。小栗風葉徳田秋声、柳川春葉とともに「紅葉の四天王」と称される。特に鏡花は、若くして大成した紅葉宅の最初の玄関番として坐った。

 泉鏡花こと、泉鏡太郎は1873年、石川県金沢に生まれた。父は「政光」の工名をもつ腕利きの彫金師で、母は江戸葛野(かどの)流の大鼓(おおかわ)の大家、中田家の娘であった。要するに鏡花は、「工芸の血」と「芸能の血」を引き継いだのだ。これが後に、その文学にも大いに反映されることになる。ぼくは特に『歌行燈』における、緊張感ある能の描写が好きだ。

 ところで鏡花の作品の主要なテーマの一つとして、「母を恋うる感情」がある。これは1883年、鏡花10歳の時に母が亡くなったことに関連しているとされる。幼くして母を失った悲しみが後に「年上の美女憧憬」という特性となって、鏡花作品に多く出現するテーマとなったのだ。

 さて、鏡花が紅葉邸の門をたたいたのは1891年、18歳の時であった(当時は数え年で年齢を言うのが専らであったから、「数え19歳」と記している書物もある)。実は彼はこの1年前には金沢から上京していたのだが、臆して訪問をためらっていた。慣れない土地での放浪生活の末、地元の友人に諭され「都落ち」する気にまでなっていたのだ。ところが、彼の友人が、紅葉と縁続きの人と同じ下宿にいたところから、彼は何とか面会にこぎつけた。

 会いに来られた紅葉の方はというと、先に述べた親類を伝って面会以前から鏡花の窮乏ぶりを聞いており、また生来の兄貴肌の性質があったから、面会の翌日からさっそく「玄関番」として食わしてやることにしたのだった。

 結局のところ、鏡花文学が世に出るきっかけとなったのはこの面会だった。人間、生きていると奇異な縁や偶然の幸運がひとつくらいはあるものだが、鏡花の場合は紅葉との出会いがそれであった。

ゴーストライト・一代の傑作

 玄関番3年目の5月、京都日出新聞にて鏡花の出世作が連載される。『冠弥左衛門』だ。畠芋之助という名義で出した。実はこの作品は、紅葉らが設立した「硯友社」にいた小説家、巖谷小波(いわやさざなみ)の作品として世に出た。いわば明治のゴーストライターだ。だが評判はさほど良くなく、師の紅葉の下には打ち切りを求める文が少なからず届いたようだ。だが紅葉は師として、鏡花をかばってこれを完結させた。兄貴肌がここでも出た。児童文学者の福田清人氏によれば、この作品は評判こそ良くなかったものの《鏡花の後の発展への芽があり、また後の大作『風流線』へつながる鏡花文学の素因が汲まれる》ものであったようだ。

 すっかり前置きが長くなってしまったが、今回紹介する『高野聖』は鏡花一代の傑作だ。能の謡曲的な手法を用いて、主人公が宿を共にした旅の僧侶に、かつて飛騨から山越えをした際にであった奇譚を物語らせた。福田氏いわく、《土俗信仰的要素が濃》い彼の神秘主義と、幼き日の母の死に端を発する美女礼賛が、『高野聖』で《みごとに融合している》。と、作品の評価はこんな感じだが、実際に今読んでも面白い。「怪談が好き」「近代文学に触れてみたい」という人には自信をもってオススメできる一冊だ。

1900年という年

 さて、「ふぎと屋」流にこの頃の社会の様相も少し案内してみよう。『高野聖』が世に出たのは1900年のことだが、この頃の日本はというと民主主義の真の実現を求めて普通選挙運動が全国化する一方で、安部磯雄(いそお)を会長に社会主義協会が発足していた。ヨーロッパに目を向けてみると、ドイツのプランクが熱放射による電磁波の波長とエネルギーの関係を説明するためにプランク定数hを導入する他方では、セザンヌの『玉ねぎのある静物画』やクリムトウィーン大学講堂画が話題をさらっていた。またシベリア流刑から釈放されたレーニンはスイスへ亡命し、パリ万博では史上初めてトーキー(有声)映画が上映され、来場者たちを驚かせていた。

 こんな折に発表された、鏡花の「幻想世界」にハマる人は後々まで多かったようである。松岡正剛氏は「千夜千冊」で《三島由紀夫五木寛之も、鏡花復権を謳っていた。金沢には泉鏡花賞もできて、半村良やら唐十郎やら澁澤龍彦やらが鏡花に擬せられた》と書いている。ぼくもどうやら、その中のひとりになりそうだ。折しもこの記事を書いている今、外は篠突く雨である。激しい雨音の誘いで幻想世界へ再び赴くというのも、悪くない。

高野聖 (角川文庫)

高野聖 (角川文庫)

参考