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【現代小説の起源】二葉亭四迷『浮雲』(岩波文庫) #37

この記事から学べる事

  • 明治の文豪、二葉亭四迷の生い立ち
  • 四迷が育ったころの社会情勢
  • 四迷の「芸術観」

 危険な読書

 先日ちょっとした縁があり、昭和44年に集英社から刊
行された『日本文学全集』を我が家に引き受けた。全巻
88冊がずらっと居並ぶ姿が圧巻だ。さっそく、第1巻の
坪内逍遥二葉亭四迷』集を手に取った。逍遥の『ハ
ムレット』、『細君』と四迷の『あいびき』、『平凡』、
浮雲』が収録されていた。

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↑赤地に金文字の背表紙が映える

 

 中でも『浮雲』に心を動かされた。いや、苦しまされ
た。主人公の文三の性格が、かつての自分とそっくりだ
ったからだ。まるで四迷に、「お前のダメなところはこ
れだ」と言われているようだった。章ごとに変わってい
く文体に気を配る余裕もなかった。あたかも自分こそが
文三であるかのように、没入して読んだ。こうまで「危
険な読書」をしたのは久しぶりだ。ここでは物語の内々
までは立ち入らないけれど、「プライドが高く、知らな
いことを知らないと言いづらい男性」にはぜひ読んでほ
しい一篇だ。いまならKindleで無料で読める。

浮雲

浮雲

 

近眼の四迷・神眼の逍遥

 長谷川辰之助、つまり二葉亭四迷1864年尾張藩
長谷川吉数(よしかず)のひとり息子として生を享けた。
1864年というのは明治維新前夜、幕末の「あやしい時代」
だ。例えば、前年には薩摩藩が単独でイギリスと戦い、
尊王攘夷」のスローガンがいかに絵に描いた餅も同然
であるかを身に沁みて悟っていた。そのイギリス本国で
は、64年に国際労働者協会(第1インターナショナル)が
結成され、資本家に向かって声をあげており、またアメ
リカを見てみると、南北戦争リンカーン率いる北軍
その勝利をほぼ確実なものにしていた。
 こうした時代に生まれ、明治維新を経験した社会と共
に育った四迷は、国をおおう「富国強兵」に絆されて軍
人を志すようになった。だが士官学校を3度受験し、3
度失敗した。かなりの近眼が祟ったようだ。数学が苦手
なのもあったらしい。そこで四迷は外交官志望に鞍替え
し、東京外国語学校のロシア語学部へ入学した。そこで
の成績はばつぐんに優秀だった。ここでロシア文学に親
しむにつれて文学熱が高まり、すると自然と作家志望の
思いが頭をもたげてくる。そこで彼は、同郷の士でもあ
る先輩小説家のもとを訪ねた。坪内逍遥だ。逍遥は当時
新鋭の作家ながら、『当世書生気質』『妹と背かがみ』
小説神髄』などを次々と上梓し、文壇においてその地
位を確立しつつあった。「芸術」と「真理」の関係につ
いて、積極的に議論したようだ。逍遥が日記『幾むかし』
の、明治19年1月25日のところに「長谷川辰之助来る、
大ニ美術を論ず」と書いている。
 この辰之助=四迷が論じたという美術について、集英
社の『日本文学全集』の解説から少し引用しよう。


 二葉亭(...)の考えでは、芸術は、真理の認識のひとつ
の方法である。学問における真理認識が、知識をもって
するのに対し、感情をもって直接に感得するものである。


ぼくのことばで言い換えれば、学問が「ある前提の上に、
論理的に定理・公理を積み上げていって普遍的な法則を
示そうとする」一方で、小説、ひいては芸術は「直観を
もってたちどころにさとる」というところだろうか。ぼ
くはこの考えにはそれこそ直観的にだが、納得できるも
のを感じた。四迷は、小説において「感情をもって直接
に感得する」ために、その著述においては「実相を仮(か)
りて虚相を写し出だす」、つまり写実的な描写を行うべ
きだろうと考えた。これがいわゆる「近代リアリズム」
の萌芽となる。文学者二葉亭四迷は、わずか3篇の創作
といくつかの翻訳しか残さなかったが、そのリアリズム
の思想で後の文壇に大きな影響を与えたのだ。また、こ
こでは簡単な紹介にとどめるが、「言文一致」の文体を
拓いたのも四迷だった。極言すれば、現代の口語体で書
かれた小説の起源は四迷にあるのだ。なんとも、おもし
ろい。いま、この文章を書いているのは月曜日の午前8
時。仕事が始まるまでにもう1度、『浮雲』を通して四
迷のもとを訪ねたいと思う。―ねえねえ四迷さん、あな
たひょっとして天才じゃないですか?―